Gibson L-5 CES
ボクがはじめて手にしたギターはおばさんが使っていたフォークギターでした。C・F・G7の3つのコードを覚えて適当に歌なんか歌っていました。その後ジャズに出会い、W.モンゴメリーやJ.ホールが使っていたGibsonにメチャ憧れましたが、当時の中学生に何十万もするギターが買えるはずもありません。三軒茶屋の質屋で5千円で買ったチャキのピックギターにグヤトーンのピックアップをつけ弾いていました。
大学に入ってもまだGibsonは買えず、二年生の頃バイトをしまくってやっとの思いでGibson ES-175という名器をヤマハで買いました。確か20万円位だったように思います。(ハードケースを買うお金が足りなかったので、ヤマハのケースに泣く泣く入れていました)やっと手に入れたGibson!天にも昇る気持ちでいつも一緒...頬ずりしたいような気持ちでいたのを覚えています。
そのころからプロとして仕事が来るようになり、ボクの初期のキャリアはこのES-175とともに過ごしました。 |

Gibson L-5 CES | 1972年に一大決心の元、仕事でためたお金でアメリカへ留学することとなり、このES-175も当然一緒にアメリカへ渡ったのですが、(Gibsonにしてみれば戻った..か?)ニューヨークへ着いてまもなく、ベースの中村照男さんに連れられて、ミッドタウンにあるMANNY`Sという大きな楽器屋に行き、そこでいよいよ L-5購入と相成りました。
そのころ本当はSUPER400という楽器のほうが欲しかったのですが、ボクには少し大きすぎるのと、中村さんの「L-5の方が格好いいよ!」という言葉にのせられL-5を買うことにしました。(でもL-5のほうが安かった!)
当時は1ドル360円、日本からの現金持ち出し限度が確か1,000ドルの時代です。古いって?当たり前よ!なにせ羽田からパンアメリカンで、しかもジャンボはまだなくてボーイング707ってやつで、親とは水杯を交わしていったんだから....。
とにかく1,000ドルしかないのに1,000ドル近い買い物をしたんだから無謀といえば無謀。今思うと冷や汗の体。 |
|
このL-5、今でもボクのジャズをやるときのメインの楽器として君臨している現役で、シリアルからすると68〜69年に作られたもののようです。ほとんどオリジナルのままで、ブリッジだけTune-O-Matickを木製ブリッジに交換してあります。この木製ブリッジがくせ者で、木でできてるから弦が乗っている部分が長年の内にへこんできます。へこむとのっかっている弦がもぐって鳴りが悪くなります。自分で少し削って平らにして....またへこんで....また削って....そのうちひどい状態になってしまいました。 |
最近やっと新しいブリッジを2つ手に入れ、(2つともローズウッドですが異なる形をしています)渋谷のパコと、世田谷のフーチークーチーでボクの楽器に合うように加工してもらい、比べながら使っています。めでたし、めでたし。
ボクがこのL-5と苦楽をともにしたのは27年。スタジオで忙しかった時期はあまり使われず寂しい思いをしたかもしれませんが、今はフル稼働状態。喜んでいるのか、休みたいと思っているのか.....。 |  問題のブリッジ周辺 |
|
 これがジョージ・ベンソンのサイン! | ボクが仲良くしてもらっているジョージ・ベンソンも何度もこのL-5を弾いたことがあり、裏にはサインがあります。(だいぶ薄くなっちゃいましたが)
楽器というものは良い悪いとは別に相性みたいなものがあって、このL-5にも不満を感じるときがあります。でもよく考えるとその不満は自分の問題ということも多いように思います。つまり自分がうまくなっちゃえば楽器の問題はあまり大きくはないということなんですね。最近、このL-5に対して不満は........。
............練習しよ〜っと。 |
|